新町松倉講について
新町松倉講は、江戸初期、大和国五條二見城の城主となった松倉豊後守重政公と、重政公が創設した歴史ある奈良県五條市新町を顕彰するためにつくられた講です。
平成20年(2008)は、奈良県出身の大名である松倉豊後守重政公が、一万石余の大名として大和五條の二見城に入城(慶長13年(1608))してより、ちょうど400年目の記念すべき年でした。重政公に恩義を受けた江戸期新町の町民にならって、この年五條市の有志が「新町と松倉豊後守重政400年記念事業」を敢行しました。この事業の目的は、歴史遺産としての五條市新町の意義を伝えること、重政公を顕彰し江戸期町民の遺物の継承に務めることでありました。「400年記念事業」として3回の記念講演会、顕彰碑や掲示板等の設置、そして平成20年11月16日(重政公のご命日)に記念式典を実施しました。
翌平成21年6月「新町と松倉豊後守重政400年記念誌」を上梓して「400年記念事業」は終了しましたが、6月27日、最後の委員会で、本事業の活動趣旨と財産は、「新町松倉講」という新しい組織に引き継がれることが決まり、記念事業委員長の槇野久春氏(五條市新町で医院を開業)が初代の講元として、引き続き活動を主導することになりました。
☆ 新町松倉講の講則、組織と役員
「新町松倉講」講則
(1)講の名称を新町松倉講とする。
(2)講の目的として、400年記念事業実行委員会実施要綱第2条に謳われた目的を引き継ぐ
(一)歴史遺産としての五條市新町の意義を、市民や県民、ひいては国民に伝える
(二)松倉重政公の業績を顕彰し、感謝の念を表す
(三)五條市に遺された江戸期町民の貴重な文物の継承に努める
(3)講としての基本活動は、例年11月の命日にちなんで西方寺(松倉豊後守重政公の菩提寺)で
「松倉祭り」を行う。講員はできる限りこれに参加する。
(4)「松倉祭り」以外の活動については、役員が提案し講員で協議して決める
(5)講元1名、副講元2名、世話人若干名を役員として置き、役員は講員より選任される
(6)講費は1人年500円とする(但し、残余資金のある間はこれを免除する)
平成21年6月
平成25年7月一部改正
(主な活動)
新町(奈良県五條市)の創設者である松倉豊後守重政公の
命日にちなんで、毎年11月中旬(16日)に、重政公の菩
提寺である西方寺(写真)で「松倉祭り」(報恩法要と研修
会・燈火会等)を行うのが最も主は活動です。
法要後講員の研修や講演会なども行っています。無論、活動はこれ以外にもいろいろあります。詳しくは活動報告をご覧下さい。
新町松倉講の目的をあげてみますと、
(1)歴史遺産としての五條市新町の意義を、市民や県民ひいては国民に伝える。
(2)松倉豊後守重政公の業績を顕彰し、感謝の念を表する。
(3)五條市に残された江戸期町民の貴重な文物の継承に努める。
ということです。ちなみに、新町松倉講は、地域社会の中から草の根的・自然発生的に生まれた組織で、地域の歴史を研修し、発信する団体です。講といっても同じ信仰を持つ結社や頼母子講のような相互扶助団体ではありません。
特に、400年記念事業の集大成として発刊された「新町と松倉豊後守重政400年記念誌」(A4版469ページ)は特筆に価するものと自負しています。(写真)
この記念誌は記念誌編纂委員会(新町松倉講の前身)に
よって平成21年(2009)6月に刊行されました。内
容は「三部」から構成され、本の大半を「一部」が占めて
います。この一部には近世から幕末、天誅組までカバーさ
れ、とりわけ松倉家の歴史のこと、新町庄屋に残る古文書
を資料に新町の江戸期商家や町民の暮らしのこと、五條に
置かれた代官所(陣屋)のこと、十四代の代官のことなど
についての詳細な検証がなされています。江戸期宇智郡五
條・新町の貴重な記録です。(内容の詳しい紹介は「刊行書紹介」をクリックしてください。また、本書をご希望の方には販売も行っています。)
この記念誌はやや専門的なところもあり、また大冊でもあり、一般になかなか読んでもらいにくいかもしれないと考え、この書をベースにして問答形式で新書版を刊行しました。『「新町と松倉」問答』です。
(写真)
この問答集は質問に答える形で構成されており、問題はや
や難しいものもありますが、その答えを考えながら解説を読
んでいただくと新町と松倉重政のことや、五條・新町にかか
わる歴史がたいへんよくわかります。どのページから始めて
いただいてもいいのです。そして、ところどころに(ぶらり
新町散歩)や(豆知識)といったおもしろい読み物があり、
新町へお越しの際はたいへん良いガイドブックにもなります。
(内容の詳しい紹介は「刊行書紹介」をクリックしてください。本書をご希望のかたには販売も行っていま
す。)
新町松倉講はこんなことをしています。