新町松倉講へようこそ

刊行書の紹介




新町松倉講刊行書紹介



☆ 「新町と松倉豊後守重政400年記念誌」


 この記念誌はA4版469ページの大冊で、内容は「三部」から構成されています。本の大半を「一部」が占めています。この部は九つの章から成っていて、松倉家と松倉重政公の歴史、近世から幕末にかけての五條・新町の歴史なかでも新町町民の自治、五條代官所と歴代代官のこと、幕末天誅組のことなど広く詳しくカバーしています。


 目次などに従いその各々の章について概略説明をしていきます。




















第1章 近世の成立

 この章では松倉氏と大和国との関係および関ヶ原の戦いと松倉重政などを扱っています。


第2章 五條二見藩の成立

 1608年、つまり関ヶ原の戦いの8年後、大和国五條に1万石余の二見藩を興し、松倉重政にその藩を与えた家康の策あるいは理由は何なのか、興味がそそられます。いろいろな理由のひとつに、近くの九度山に流されていた家康の最も恐れる真田親子の監視というのがあるのではないか、という意見も述べられています。8年後には大坂の役が始まり、二見城主としての松倉重政と大坂の役とのかかわりなどが述べられています。重政が二見城に封じられた結果、重政の城下町づくりの一環として新町が創設されるのです。


第3章 新町の自立 〜 第5章 五條周辺地域の農業生産

 この記念誌のもっとも重要な部分、そして日本の江戸期町屋研究に大いに資するであろう研究の部分です。第4章 新町村の発展、第5章 五條周辺地域の農業生産 とつづきます。新町村庄屋柏田家文書を子細に検討して書かれ、はじめて公開される貴重な研究です。これは当市の近世研究家、藤井正英氏の手になるものですが、第一次資料を駆使した新町とその周辺地域の研究は歴史研究の一級品だと自負しています。


第6章 五條代官所の設置

 奈良県における五條の位置について、司馬遼太郎は江戸期の大和で五條は奈良につぐ南部第一の町と位置づけています。この町に置かれた幕府の代官所の成立と歴代代官(14名)について詳しく述べられ、それら代官が当時として大変高い教養をもった人たちであり、この五條の人々に特に文化等の面で大きな影響を与えたことがよくわかります。悪代官など1人もいなかったことを知ることができます。むしろ、町民や農民のために奈良の奉行所に訴えた代官もいるくらいです。一般に思い込まされている江戸期の悪い代官像などテレビ等で作り上げられた全くのうそであることがわかります。


第7章 新町村の運営と自治

 約400年前に創設された新町村は、様々な課題に直面しながら村の庄屋と町民が協力して自治行い今日に至っています。創設当時五條村と二見村の双方の一部をとって新町を作りましたが、長い歴史の中で新町が再びもとの五條村と二見村に戻される危機もありました。水害など自然災害もあり、大きな被害を被ったこともありました。しかし、新町がどのようにそれら課題に取り組み運営し自治を守って今日にいたったかがこの章で述べられています。


第8章 幕末の新町

 幕末の黒船来航は、日本全体をゆるがす事件でした。その危機感は五條の町ではどのようであったか、人々はどのように行動したか、など大変興味のある事柄です。さらに天誅組の変がこの五條の代官所を襲うという形でおこったことは、この大和南部の一都市が歴史上どのように意味があったのかを教えてくれます。天誅組が大きく取り上げられる中で、その後に起こった高野山隊の挙兵と五條代官所の接収という事実があまり語られていないのですが、この記念誌ではこの章で取り上げています。


終章 地域社会における松倉重政像

 新町の人々が、松倉重政をどう受け止めているかを新町に残る文書から取り上げています。一方、重政と島原の乱との関わりで描かれる重政像もあり、それ以外の歴史上での重政像もありますが、そのことにも触れられています。



(第二部)は5章からなっていて、主に明治期以後の五條・新町について語っています。


第1章 明治維新と新町

 森田節斎、五條県の設置、自由民権運動、などのテーマで数名の方の小論を掲載しています。


第2章 新町の町並み町屋建築

 新町の建築物について町並みの起源、町屋建築の特徴、あるいは大火や水害などの自然災害をどのように乗り越えてきたかなど、興味ある事柄に触れています


第3章 清流吉野川の思い出

 吉野川と水泳王国五條、紀和水泳大会、吉野川遊覧、筏流しなどのテーマで思い出が述べられています。


第4章 昭和の新町、新町のくらしアンケート調査


第5章 特別寄稿

 近世五條の魅力、松倉重政の光と影、松倉重政と島原などのテーマで奈良市や島原在住の歴史家の特別寄稿、松倉家の子孫の方による特別寄稿「五條の明晰 〜重政に光立ちて〜」が掲載されているのは貴重です。


(第三部)名簿など記録集

 実行委員会の活動記録であり、活動に参加していただいた皆様のお名前を掲載しています。


       400年記念誌(A4版) 頒価 3000円  + 400円(送料)

    (ただし、記念誌ご購入一冊につき、「新町と松倉」問答(新書版)を一冊贈呈

     させていただきます。)    (申し込みはこちらから




☆「『新町と松倉』問答」




























 上で紹介しました400年記念誌をベースにしてもっと読みやすい形で冊子をつくりました。問答形式で100題を集め「『新町と松倉』問答」(113p)と題して、新書版で刊行することになりました。この問答集の紹介をします。


 この問答集は質問に答える形で構成されており、問題はやや難しいものもありますが、その答えを考えながら解説を読んでください。そうすれば新町や松倉重政公のことを知るとともにその時代の背景的な歴史も学べるようになります。どのページから始めていただいてもいいのです。そして、ところどころに(ぶらり新町散歩)や(豆知識)といった大変おもしろい読み物があります。新町へお越しの際は、大変良いガイドブックになると思います。また、新町在住でアトリエ「虫籠庵」を開かれている著名な杉本洋画伯の貴重な新町の画(カラー)を2枚載せております。













では、この問答集の中のいくつかを紹介します。


  「問題」明治39年、新町に生まれた作家兵本善矩は、志賀直哉の門下となり「彼女の滞在」、

     「布引き」などを次々と発表した。さて、独自の作風で異色の作家として注目された兵本

      善矩の実家の職業とは?


         1 肥料屋  2 魚卸業  3 薬問屋  4 銀行業


  「問題」戊辰戦争の開始直後に五條代官所を接収した鷲尾侍従隊の中心となった人々とは


      1 元陸戦隊士 2 元海援隊士 3 元天誅組浪士 4 代官所の農民



(ぶらり新町散歩) 森脇屋久兵衛宅跡














 西方寺を過ぎてさらに東に向かうと、吉野川へ続く路地の東隣は代々庄屋を務めた森脇屋(柏田)久兵衛の宅地である。久兵衛は五條代官所が設置されてからは、郡中代や掛屋なども務めた。母屋は残念ながら残されていないが、その奥には享保16年(1731)の棟札のある土蔵、奥座敷、それに見事な庭が残されている。因みにこの土蔵は新町で最も古い建物である。また、柏田家には新町の歴史や、五條の歴史を繙く上で欠かすことの出来ない古文書(免許状、新町屋敷割帳等)が代々受け継がれている。



                「新町と松倉」問答(新書版) 頒価 350円  + (送料)

                 (申し込みはこちらから