第9回研修会 講演(1)要約
「災害と江戸時代の租税の実際」 藤井正英氏
この講演では以下の3つの資料が参加者に配布された。
(1)災害と近世の租税の実際
(2)災害関連資料
(3)村高・荒高・毛付高・取米の推移一覧
・五條市内の旧庄屋家が所蔵する文書をもとに、近世二百年間の地域の自然災害と租税との関係を考察した。
・史料は「皆済目録」「免札」を中心としつつ、地域の開発資料・訴願史料なども加味した。
・18世紀前半頃までは「旱損・水損・風損・虫害」などの被害が顕著である。18世紀半ば以降は「土砂
入」の記載がほとんどである。(「旱損」などは表に出ない)その原因は「開発」「草山・芝草山の荒廃」 「幕府の国役普請」「池・堤普請の定着化」など様々である。
・享保年間前後は、毎年のように、災害の結果控除の対象となる引き高が計上されている。しかし、残りの毛 付高への毛付免(課税率)は例年よりやや下がるが、平年に近い水準である。
・享保13年(1728)は村高の51.3%、明和5年(1768)は49.5%、元文元年(1736)は46.2% の荒高引が実施されていて、災害の大きさを推し量られる。
・18世紀後半は定免化が計られて、幕府への納入の取米がすこしずつ上昇している。
・住民は様々な方法で災害に対峙し、対処してきた。
検見の実施や破免の要望、鍬下願い、借金、祈願、仕法講、安石代の訴願、
御普請の実施、村内での相互の扶助、備蓄、開発の抑制などなど。
※ 新しい土地の開発は既存の田畑の経営にも影響する(「田畑自ずと悪作」になる)。地域社会の耕作
大系全体から見る必要性を主張している(学ぶべき眼力)。
・ 具体例
㋑明和5年(1768)の水損被害と破免、検見の実施(→大和国内では一揆が多発、時代の転換期)
㋺天保7年(1836)の飢饉と米価の高騰
五條代官蓑笠之助の病身をおしての活動
安石代の実現(10ケ年平均の値段の実現:宇智郡など5郡の惣代による運動展開)
→天保9年、明治元年にもこの運動体験が生かされた。
村内のおもだった者による供出も実施された。
・地域社会の現在の風景の大枠を形成したのは、こうした近世の人々の活動、努力、叡智の結果であることを想起したいものである。
(講演の要約 藤井正英氏 2017 11 26 於「標」)